もっとも親しい人からの依頼による掲載です。
都城盆地を歩く 第12回
勝岡城跡下、安楽寺、的野正八幡宮等を歩きます
江戸時代は島津本家の直轄領だった勝岡郷。戦国時代の山城の勝岡城跡下の地頭館やお寺の跡。田島の隠れ念仏洞。拷問石の残る安楽寺。奈良時代の町の跡の新町。弥五郎どんの的野正八幡宮などです。
日 時 2024年2月18日(日)10:00~12:00
今回は都合により原則毎月最後の日曜日開催の変更です。
集合場所 三股町勝岡の正信寺駐車場(集合時間 9時45分)
移動手段 各自のマイカーと徒歩(相乗りをお勧め・徒歩は少し)
参加人数 10~15名
参加費 無料
その他 ・事故等の賠償責任は負いかねますので各自の保険等
で対応を ・小雨順延 ・トイレは臨機応変に対応
主な行程 正信寺駐車場➡勝岡城跡下➡讃誓碑➡安楽寺➡熊野
三 所権現宮➡田島の隠れ念仏洞跡➡新町跡➡的野正八
幡宮➡正信寺駐車場
(要所メモ)
正信寺
真宗木辺派。本山は滋賀県中主町錦織寺。千町の錦晃寺も木辺派。
勝岡の一本杉
佐沢家の元屋敷跡の記念樹。
勝岡郷
上地令により、1614年(慶長19)に都城島津家から島津本家へ返納され、本家の直轄地。
勝岡城
築年は南北朝。築者は樺山氏か。庄内の乱では、伊集院方の12支城の一つ。
梁新寺跡
都城島津家10代北郷時久の四男久村が、父の菩提を弔うために建立。
勝岡郷の一向宗取締り
1835年(天保6、)勝岡郷では894人が摘発。農民の処罰は年貢の確保に問題があるためお咎めなし。但し、武士には厳罰。1837年(天保8)勝岡郷士桑畑熊次郎には切腹の命令。
一向宗の禁止の理由
薩摩藩では室町時代(1336~1573)の中期から明治9年まで厳しく禁止。理由は諸説あり。
蓼池集落
蓼池村の字小園には池があり、蓼が多かったのでこの地を蓼池という。
讃誓碑(さんせいひ)
三股の蓼池の隠れ年仏洞のある敷地内に、1933年(昭和8)に建立。洞等で秘かに信仰の火を守り抜いた祖先を讃えるもの。
安楽寺
山之口町富吉。本願寺派。一向宗改めの拷問石が現存。田島の隠れ念仏洞は安楽寺が管理。
山之口熊野三所権現宮
逸話が三国名勝図会にも記載。
新町跡
JR日豊線新町踏切付近。奈良時代諸県地方唯一の町として栄えた。
的野正八幡宮
710年(和銅3)国分の正八幡宮(現在の鹿児島神宮)を勧請。11月3日は弥五郎どん祭り。
古代文字
宮崎県内には古代文字で書かれたものが二箇所ありその一つが的野神社参道の石碑。
申込・問合せ先 永野(☎090-7981-5205)まで