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タケノコ採り2019

 先日、先々日と雨が続き「こさん竹」のタケノコがずいぶん大きくなっただろうと隣人と軽トラで母智丘近くの横市川の堤防へ。残念ながら期待したほどのことはなかった。タケノコも伸び切り、新しいタケノコも数少なくなっており、今年のタケノコ採りも今日で終わり。来年の春は再び元気でこの竹やぶに来れるものかと思案し、竹やぶの神様に感謝の手を合わしたことでした。

この竹やぶでタケノコを採ります。今年も何回となく来ています。
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竹やぶの中はこんな感じです。
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タケノコです。
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もうほとんどがこのように大きくなっています。
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それでもこれだけの収穫。約40分。

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晩飯は早速のタケノコ。焼酎の「アテ」です。庭先の「ふき」は入れ忘れ。
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# by meitoku1947 | 2019-05-20 19:17 | 時々の話題 | Comments(0)
 昨日、最近始めた散歩中に我が家の近くの三方張りの用排水路を覗くと、水量の少ない流れの中に純白で梅の花によく似た小さな花が水面に数多く咲き、流れに身をませていました。この川の源流は早水池の湧水で、今でこそ三方張りの用排水路ですが流れは昔のままの清流のようです。その水面に咲く小さな白い花・・・・これはかの有名な清流に今頃に咲くという梅花藻の花かもと期待しながら写真を撮り、ネットで調べてみるとどうも違うようです。オオカナダモという外国から入ってきた帰化植物に間違いないようです。残念。

小さな白い花が水面にいっぱい。
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拡大するとこんな花です。
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川はこんな三方張りですが、かつては川幅ももっと広く両岸の多くが樹木等に覆われ、流れる水ももっと多く、上流から下流のあちこちの岸辺に洗濯場がありました。子供の頃、亡き母達が洗濯している間、川の中で魚とりなどしながら遊べる清流でした。
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# by meitoku1947 | 2019-05-09 05:55 | その他 | Comments(0)
 財部高等学校は、都城市からは車で10分程度の旧財部町の南の小高い見晴らしのいい丘の上にありました。
 財部高校は、昭和23年に末吉高校の財部分校として開校しています。科目は農業科と家庭科と本科(普通科のこと?)でしたが、2年後には農業科と家庭科を募集停止し普通科のみの設置となったようです。昭和26年には末吉高校から独立し、財部高校となっています。平成20年には創立60周年を迎えていますが、平成26年には曽於市の末吉、岩川そして財部の3つの高校が統合され、末吉高校の地に曽於高校がスタートしたことにより岩川高校とともに閉校しています。全卒業生は6250名だそうです。都城が近いことから都城からの通学生もいたようです。
 岩川高校同様、学校内は入れません。外から見る限り校舎や運動場など閉校当時のまま残されています。見る生徒もいないのですが桜の花が満開でした。

校門から見た校舎です。
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門扉には閉校の案内。
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校庭の桜
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亡師・亡友の碑
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運動場跡はドクターヘリの緊急離発着場に。
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# by meitoku1947 | 2019-05-07 09:35 | その他 | Comments(0)
 三股町のため池の黄色ショウブが今年も見頃となりました。早水公園のあやめ祭り(4/29)が終わったのでそろそろかなと山之口での用事の帰りに様子見に立ち寄って見ました。今が盛りのようです。毎年この時期に何回か見にやって来ますがそのたんびに見事だと感じています。この7,8年ここでは誰にも会ったことはなく花の景色の一人占めでしたが、今回はなんと6~7人の年配の女性たちが。都城の水彩画のグループだとか。聞けばこの時期毎年スケッチに訪れているのだとか。

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水彩画の趣味の方々もスケッチに。
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# by meitoku1947 | 2019-05-06 06:54 | 季節の風物詩 | Comments(0)
 岩川高校は、曽於市大隅町岩川にありました。都城からは車で約20分程でしょうか。新元号の令和は、万葉集の中の大伴旅人の梅花の宴の中から採られたということですが、この大伴旅人が南九州の隼人を征服するため軍の最高司令官として南九州に進軍し、多くの隼人を斬首したり捕虜にしたりその数は1400余人ともいわれます。岩川高校はこれらの戦いで犠牲となった隼人の霊を慰めるためといわれる弥五郎どん祭りで有名な岩川八幡神社のすぐ近くにありました。
 岩川高校の前身は岩川町立岩川工業学校といい、昭和16年に今の岩川中学校にあった青年学校の教室の一部を借りて開校。建築科と応用科学科の2科で修行年限は5年だったそうです。2年後の昭和18年、地元出身の実業家岩崎与八郎の寄付と町の予算及び地元住民の奉仕作業で今のところに新校舎が完成し移転しています。昭和19年には鹿児島県に移管され、県立岩川高校に、昭和23年には新制高等学校の県立岩川高等学校に、平成28年には、曽於市内の末吉高校、財部高校、岩川高校の3高校が統合され曽於高校の新設により閉校し74年の歴史に幕を閉じています。巣立った卒業生は15257名だそうです。
 広大な敷地にある校舎等や運動場は柵で取り巻かれており中に入ることはできません。つい最近の閉校であり、校舎や運動場には生徒たちの姿が見えるような気がします。学校が無くなるということは、卒業生や地元の方の無念さがあることだと思いますが、訪れる私のような部外者にも何か感じるものがあります。時代の流れと割り切るまでには時間が必要なようです。

正門からみた校舎の一部です。
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生徒達の姿の見えない広い運動場が寂しさを感じさせます。
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正門の柵に掲示された閉校案内。
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遠方からの通学生にはバイク通学が認められていたようです。
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実業家の岩崎与八郎さん寄贈の図書館だと思われます。
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# by meitoku1947 | 2019-05-06 05:59 | その他 | Comments(0)
 折田小学校と中学校跡へは、曽於市の岩川から約15km、車で約20分ですが、都城からは国道10号を鹿児島へ向けて走ると車で約25分、約20kmの所にありました。
 折田小学校がいつ開校したかは分かりませんが、明治25年までは隣の集落の梶ケ野にあり梶ケ野簡易小学校といっていたようです。明治27年に折田尋常小学校となり、昭和39年には隣の集落の坂元小学校と合併し今の大隅北小学校となり閉校しています。
 小学校があったことを偲ばせるものは、校門跡に建つコンクリート製の大きな門柱2基とその近くに、薪を背負いながら読書を続ける二宮尊徳の像が立っています。校庭の隣に広い墓地がありますが、ここは墓地の先にあった折田中学校と共用で使用したと思われる運動場の跡だそうです。(地元の人の話)
 校門跡の前にはスダジイの大木が10本近く生い茂り圧倒されます。11月の初め頃から終り頃まで椎の実が落ちるそうで、地元の人はほとんど拾う人はなく、国分あたりから拾いに来る人がいるとのことです。この場所は気に入っており今までに何度も訪れていますが今度は椎の実拾いに来てみたいと思います。スダジイの大木の蔭に笠木神社もあります。
 折田中学校は、昭和23年に笠木中学校の折田分校として開校し、昭和32年に新設の大隅北中学校に併合されて閉校しています。ところがこの大隅北中学校も平成17年に閉校しています。中学校跡は墓地の隣の現在は畑の所に建っていたそうです。中学校があったことを思わせるものは一切残っていません。

校門跡です。
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近くには二宮尊徳の像。
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スダジイの大木
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笠木神社
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かつての運動場跡は墓地になっています。
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この墓地の隣に折田中学校(分校)があり、現在は畑です。
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# by meitoku1947 | 2019-05-05 05:29 | その他 | Comments(0)
 須田木小学校は、都城から末吉、岩川を経由して約30km、車で約40分のところにある旧恒吉小学校(恒吉城跡)からさらに西の方へ10分程度車で走った県道沿いの左側にありました。道路沿いの広場からパークゴルフを終えて車で帰ろうとしている人達に、須田木小学校跡はここでしたかと尋ねてそうだと分かりました。学校跡の近くには集落というほどの人家は見られず、この地にも過疎の波が容赦なく押し寄せているようでした。
 須田木小学校は、明治11年に須田木簡易科として開校、明治24年に須田木尋常小学校に、大正3年に恒吉小学校分教場に、昭和22年に須田木小学校となり、昭和44年には神牟礼、大谷、須田木、旧恒吉の4つの小学校が新恒吉小学校に統合されて閉校しています。パークゴルフをしていた人の話では、児童数が一番多かったのは戦後の50~60名。複式学級だったそうです。
 校庭跡は、消防車の車庫、青少年館の建物のほか神社や六地蔵の石仏等がありました。学校跡の近くにはこの地区では信仰が厚いと思われる「六地蔵様」がありました。

校門跡から見た全景です。消防車の車庫と青年館が奥に見えます。
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神社もありました。
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五輪塔などの石仏も。
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学校創立90周年の記念碑です。閉校一年前の昭和43年の建立。
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# by meitoku1947 | 2019-05-04 03:56 | その他 | Comments(0)
 神牟礼小学校は、都城から末吉、岩川を経由して約28km、車で約40分のところにある恒吉小学校からさらに北の方へ10分程度車で走った所にある神牟礼集落にありました。この集落は周りに畑が拡がっています。集落にあったガソリンスタンドや地元のスーパーも店を閉じているなど過疎が肌で感じられます。
 神牟礼小学校は、昭和24年に恒吉小学校の神牟礼分教場として開校し、翌昭和25年には分校に、昭和27年には神牟礼小学校として独立。昭和44年には、大谷、須田木小学校とともに新恒吉小学校に統合されて閉校しています。
 学校跡には消防団詰所が建てられています。ここにかつて小学校があったことを思わせるものは何一つ一切ありません。都城盆地内の戦後に閉校した学校を中心に訪ね歩いていますが、多くの閉校した学校はかつてここに学校があったことを記念碑などを建立したりして後世に残そうとある意味涙ぐましい努力をしているのですが、ここのように学校のあった痕跡を一切、まったく残さないというのは都城市山之口の青井岳中学校同様、珍しいことです。

小学校跡に建つ消防団詰所。
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# by meitoku1947 | 2019-05-03 04:50 | その他 | Comments(0)

大谷小学校跡は、曽於市岩川から県道を恒吉方面へ車を走らせると、途中の左側に「芠ケ迫」の表示があり、ここを左折して谷を下り、坂道を登ると左手にあります。コミュニティバスの大川原バス停のすぐ前です。過疎が進む集落には違いないようです。

 大谷小学校は明治8年に創立された歴史ある学校でした。昭和38年には児童数38名。昭和44年には恒吉小学校に統合され、閉校しています。

 校庭跡には、消防団の消防車車庫と大谷地区青少年館が建てられています。校庭の端には山の神様でしょうか、祭られています。また当時の遊具のジャングルジムが錆びたまま放置されていました。ただ、校門跡には1年前に卒業生有志が建てた学校跡の記念の標柱が真新しい姿でありました。閉校からずいぶんと年月が経っても自分たちの母校に多くの思い出があったんだろうなと思われました。

 校庭跡です。消防車車庫と青少年館が建っています。

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一部は土採り場になっています。

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校庭には神様も祭られています。

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錆びたジャングルジムが当時を偲ばせます。

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校門です。

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校門に昨年建てられた、ここに学校があったという標柱です。

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# by meitoku1947 | 2019-05-02 08:43 | その他 | Comments(0)

早水公園のあやめ2019年

 宮崎からYちゃんがお父さんとやってきたので、早水のアヤメの花を見に行ってきました。暖冬で花が早めに咲いたせいか、花の盛りは過ぎようとしていましたが、まだ十分に見事でした。翌日4月29日は、早水公園のあやめ祭り(第24回)でしたがあいにくの雨でした。
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# by meitoku1947 | 2019-05-02 06:42 | 季節の草花・野菜などなど | Comments(0)